「モノ作り」を教えるビジネス [ゲーム分析]
アジアカップ面白すぎ。
我が家では、ザッケローニ監督の眼鏡に注目してます。あれって、サイクロップス(X-MENのキャラです)が装着しているサンバイザーみたいなもんだよね。きっと。
試合開始時は眼鏡をかけている。だけど、いつも途中で外してしまう。試合がドラマチックになっていくのは、毎回、そのあたりからです。
ザッケローニの目からは、たぶん「試合をドラマチックにする光線」みたいなものが放出されてるんだと思う。
決勝戦は、ぜひとも「最後まで眼鏡をかけたまま」の展開を希望したいものですが、その一方、やっぱり眼鏡を外すような試合になってほしい、と願っている自分もいます。
さて。今日は、ひさしぶりに「モノ作り」の話。
まずは、ボーカロイドの話から。
以前に、何度か書いていますが、野安はボーカロイドでの曲作りを楽しんでいます。ニコニコ動画では「P名」を持っています。
結局のところ、「モノを作る」というのは、とびきりのエンタテインメントですからね。めちゃくちゃ面白い。
かつては、曲なんか作っても発表する場がないし、発表したとしても注目されるはずもないから、よほど好きな人じゃないと曲作りを趣味にしなかったけれど、いまは環境が整った。面白くってしょうがないわけですよ。
あと、ニコニコ動画で遊ぶのは、なんか楽しいしね。
ただ、どんどん厳しくなってきているのは事実。動画は、ひたすら蓄積されていくのだから、延々と分母は増え続ける。だから新しいものが注目される可能性が低下する一方だ、ということです。
ボーカロイド楽曲でいうと、1~2年前なら、どんな曲をアップしても、200~300くらいまで、一気に再生数が伸びました。いまは50~100で止まることすら、あると思うよ。
なので、再生数を稼ぎたいのならば、地道にTwitterでフォロワーを増やしていく――みたいな活動が大事になってたりします。動画をアップしただけで注目されて、一気に有名になる――なんてのは、優れた楽曲を作れる、ズバ抜けた才能の持ち主だけですね。
とはいえ、注目される必要なんて、ないんだけどね。
だって趣味だもん。面白ければいいじゃん。そう考えて、ただ曲をアップするだけの人も、たくさんいます(野安はこのタイプ)。再生数を気にしなければ、ここは、いまなお楽しい場所であり続けています。
いま、ゲームビジネスが戦っているのは、これなんだよね。
「モノを作る」という楽しさを上回るような、もっともっとユーザーを楽しませるエンタテインメントを準備しないといけない、ということです。
これは大変です。「モノを作る」ってのは、とびきりのエンタテインメントだからね。人間が人間であるのは、そこに楽しさを感じる点にある、と言っても過言ではない。
ライバルは、もちろん楽曲作りだけじゃない。ゲームを遊ぶよりも、たとえば「Twitterでつぶやくほうが楽しい」「SNSで交流するほうが楽しい」と思われたら負けなんですよ(言葉を発信するというのも、立派な「モノ作り」のひとつです)。
でもって、けっこう多くのゲームが、その戦いに負けはじめているというのが、2011年現在の実情なのではないかと。
ところで。
「ボーカロイドで曲を作るための講座」ってのを開いたら、ビジネスになるかもしれないなぁ。ならないかもしれないけど。
ボカロの初心者のための講座です。作った曲のデータを送信したら、「ここを、このように調整すると、良くなりますよ♪」と添削してくれる――みたいなサービス。
絵画教室とか、楽器の教室とか、陶芸の教室とか、そういうのと同じ。「何かを作る」という楽しさを味わいたい人のために、そのコツをレクチャーするってのは、れっきとしたビジネスとして存在します。なんら、おかしな話ではない。
何年後かには、そういう講座に金を払ってもいいなぁ……と思うような人が出てくるかもしれません。
もっとも、どのように「ボーカロイドに歌わせるか」ってのは、人によってアプローチが違います。なので、どの人の教えを受けたかによって、派閥というか、流派というか、そういうものができたら、ちょっと面白いよなぁ(笑)。
「面白い歌わせ方ですね。流派は?」
「わたし、裏P家なんですよ。あなたは?」
「ぼくは表P家です」
みたいな会話が、いつか発生する時代が来ないものだろうか。来るといいなぁ。きっと来ないけど。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
我が家では、ザッケローニ監督の眼鏡に注目してます。あれって、サイクロップス(X-MENのキャラです)が装着しているサンバイザーみたいなもんだよね。きっと。
試合開始時は眼鏡をかけている。だけど、いつも途中で外してしまう。試合がドラマチックになっていくのは、毎回、そのあたりからです。
ザッケローニの目からは、たぶん「試合をドラマチックにする光線」みたいなものが放出されてるんだと思う。
決勝戦は、ぜひとも「最後まで眼鏡をかけたまま」の展開を希望したいものですが、その一方、やっぱり眼鏡を外すような試合になってほしい、と願っている自分もいます。
さて。今日は、ひさしぶりに「モノ作り」の話。
まずは、ボーカロイドの話から。
以前に、何度か書いていますが、野安はボーカロイドでの曲作りを楽しんでいます。ニコニコ動画では「P名」を持っています。
結局のところ、「モノを作る」というのは、とびきりのエンタテインメントですからね。めちゃくちゃ面白い。
かつては、曲なんか作っても発表する場がないし、発表したとしても注目されるはずもないから、よほど好きな人じゃないと曲作りを趣味にしなかったけれど、いまは環境が整った。面白くってしょうがないわけですよ。
あと、ニコニコ動画で遊ぶのは、なんか楽しいしね。
ただ、どんどん厳しくなってきているのは事実。動画は、ひたすら蓄積されていくのだから、延々と分母は増え続ける。だから新しいものが注目される可能性が低下する一方だ、ということです。
ボーカロイド楽曲でいうと、1~2年前なら、どんな曲をアップしても、200~300くらいまで、一気に再生数が伸びました。いまは50~100で止まることすら、あると思うよ。
なので、再生数を稼ぎたいのならば、地道にTwitterでフォロワーを増やしていく――みたいな活動が大事になってたりします。動画をアップしただけで注目されて、一気に有名になる――なんてのは、優れた楽曲を作れる、ズバ抜けた才能の持ち主だけですね。
とはいえ、注目される必要なんて、ないんだけどね。
だって趣味だもん。面白ければいいじゃん。そう考えて、ただ曲をアップするだけの人も、たくさんいます(野安はこのタイプ)。再生数を気にしなければ、ここは、いまなお楽しい場所であり続けています。
いま、ゲームビジネスが戦っているのは、これなんだよね。
「モノを作る」という楽しさを上回るような、もっともっとユーザーを楽しませるエンタテインメントを準備しないといけない、ということです。
これは大変です。「モノを作る」ってのは、とびきりのエンタテインメントだからね。人間が人間であるのは、そこに楽しさを感じる点にある、と言っても過言ではない。
ライバルは、もちろん楽曲作りだけじゃない。ゲームを遊ぶよりも、たとえば「Twitterでつぶやくほうが楽しい」「SNSで交流するほうが楽しい」と思われたら負けなんですよ(言葉を発信するというのも、立派な「モノ作り」のひとつです)。
でもって、けっこう多くのゲームが、その戦いに負けはじめているというのが、2011年現在の実情なのではないかと。
ところで。
「ボーカロイドで曲を作るための講座」ってのを開いたら、ビジネスになるかもしれないなぁ。ならないかもしれないけど。
ボカロの初心者のための講座です。作った曲のデータを送信したら、「ここを、このように調整すると、良くなりますよ♪」と添削してくれる――みたいなサービス。
絵画教室とか、楽器の教室とか、陶芸の教室とか、そういうのと同じ。「何かを作る」という楽しさを味わいたい人のために、そのコツをレクチャーするってのは、れっきとしたビジネスとして存在します。なんら、おかしな話ではない。
何年後かには、そういう講座に金を払ってもいいなぁ……と思うような人が出てくるかもしれません。
もっとも、どのように「ボーカロイドに歌わせるか」ってのは、人によってアプローチが違います。なので、どの人の教えを受けたかによって、派閥というか、流派というか、そういうものができたら、ちょっと面白いよなぁ(笑)。
「面白い歌わせ方ですね。流派は?」
「わたし、裏P家なんですよ。あなたは?」
「ぼくは表P家です」
みたいな会話が、いつか発生する時代が来ないものだろうか。来るといいなぁ。きっと来ないけど。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
2011-01-27 00:00
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