新年スペシャルコラム(1) 思考の快楽について [ゲーム分析]
あけましておめでとうございます。
年始から、ややマニアックなことを書きます。「思考」の話です。
かなり長いです。興味のある人だけ、どうぞ。
思考ってのは、言語に影響されます。
日本人は、日本語で思考する。
イギリス人は英語で思考する。
アラブ圏の人は、アラビア語で思考します。
ようするに、たいていの場合、みんな自分の母国語で思考するっちゅうことです。もちろん、例外もありますけどね(たとえば数学者は、言語に関係なく、数学で思考することもできるでしょう)。
海外旅行中、旅先で、ふと母国語じゃない言語で世間話をする状況になることがあります。
ふと同席した人に英語で話しかけられたら、まあ英語で返答しなくちゃならないですからね。すると、そういうときは、日本人であっても、
わたしは、こう思う。
なぜなら、これこれこうだから。
という順序で言葉を連ねていくことになります。英語ってのは、文法上、そうなっているからです。すると、その間は、そういう順序で思考するようになるんですね。
野安は海外で暮らしてたことがあるので、「そういう思考法にする」ためのスイッチを入れることができます。これは、いわゆる「英語力」とは関係ありません。語彙が少なくても、つたない英語力しかなくても、スイッチを入れることは可能です。英語で思考しながら、英語でしゃべれるようになるんですね。
大学受験できるほどの英語の勉強をしていても、英会話ができない人は、つまり、このスイッチの入れ方を知らないだけのことなんですね。
ちなみに、このスイッチを入れられるようになるためには、1週間くらい、母国語が通じない環境に身を投じればいい。いずれ、ごく自然にスイッチが入るようになります。
話を、ゲームに戻します。
ゲームに「謎解き」とか「ストーリー」などの要素が加わったとき、そこに「使用する言語による差異」が生まれます。
どんな行動をとってもOK!
それが周囲に影響を与える!
どうプレイするかは、あなた次第!
という仕組みの作品を、海外のゲームで、よく見かけます。海外の人がいう「自由度」ってのは、たいてい、そういう意味だったりします。
で、そういうのを見るたびに、ああ、これってアルファベット文化圏のゲームだよなぁ、と野安は思うわけです。
わたしは、こういう行動をとった。
だから、こうなったのか。
という形で進むゲームですからね。先に行動を決めて、あとから結果が出るわけです。「まず動詞がある」みたいな形。いわば英文法と同じ順序になっている。
アルファベット文化圏の人は、こういった「行動があった後に、結果が出た」という物語に、知的な快楽を感じるんだろうなぁ、と推測しています。
日本製のゲームって、そのあたりが違うんだよね。
こちらは、結果が先にあって、あとから原因を知る、という順序になっているものが多いんですよ。
わかりやすくいうと、「ドラゴンクエスト」のイベントって、そうなってるでしょ?
街がボロボロになっている
何が起きたんだ?
北の洞窟にいる魔物に襲われたのか!
よし、行動しよう!
という順序で物語が進むわけです。
結果を見せて、それから過程を推測させ、最後に行動を起こさせようとする。そんな手順を踏みながら物語が進むところに、わたしたちは知的快楽を感じるんですね。
(この知的快楽を小説化したものが、いわゆる「推理小説」というヤツです。ちなみに、推理小説が、いまなお大量に作られている国は、日本以外には、ほとんどありません。この知的快楽の仕組みは、日本語で思考する人との相性がいいのでしょう)
まあ、ここにあげた例は、いずれも極端なものばかりですが。
じつは、これこそが、国産ゲームと海外ゲームの、大事な違いのひとつだったりします。
日本製のRPGが、北米や欧州のゲームファンに、なんか受け入れられない理由だ、といってもいい。
どんどん、物語に巻き込まれるようにして物語が進んでいくゲーム――たとえば「FF」などが、海外に受け入れられているのは、そのためかもしれません。
海外には、凄くヒットしたゲームが、たくさんある。
なのに、日本では売れない。
そんな現実を見て、いろいろな意見が出ているわけですよ。「日本人は、海外ゲームの面白さを知らないだけ」とか「日本のゲームファンは、ちょっと特殊だ」とか。
違うってば。
日本語で思考する人たちにとって、それらのゲームからは「思考のカタルシス」が感じにくいんだよね。
ゲームが生み出す知的快楽には、そりゃもう、あきらかに言語差が出るんですよ。
海外でヒットさせたいゲームを作りたいなら。
極論を言ってしまえば、開発スタッフが英語で会話するようにすればいい。英語で思考しながらゲーム作ると、海外でヒットするゲームが作りやすくなると思う。
いつか、そういうチャレンジをするゲーム開発チームが出てこないかなぁ、と考えたりもします。そういうゲーム、ちょっとプレイしてみたいなぁ。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
年始から、ややマニアックなことを書きます。「思考」の話です。
かなり長いです。興味のある人だけ、どうぞ。
思考ってのは、言語に影響されます。
日本人は、日本語で思考する。
イギリス人は英語で思考する。
アラブ圏の人は、アラビア語で思考します。
ようするに、たいていの場合、みんな自分の母国語で思考するっちゅうことです。もちろん、例外もありますけどね(たとえば数学者は、言語に関係なく、数学で思考することもできるでしょう)。
海外旅行中、旅先で、ふと母国語じゃない言語で世間話をする状況になることがあります。
ふと同席した人に英語で話しかけられたら、まあ英語で返答しなくちゃならないですからね。すると、そういうときは、日本人であっても、
わたしは、こう思う。
なぜなら、これこれこうだから。
という順序で言葉を連ねていくことになります。英語ってのは、文法上、そうなっているからです。すると、その間は、そういう順序で思考するようになるんですね。
野安は海外で暮らしてたことがあるので、「そういう思考法にする」ためのスイッチを入れることができます。これは、いわゆる「英語力」とは関係ありません。語彙が少なくても、つたない英語力しかなくても、スイッチを入れることは可能です。英語で思考しながら、英語でしゃべれるようになるんですね。
大学受験できるほどの英語の勉強をしていても、英会話ができない人は、つまり、このスイッチの入れ方を知らないだけのことなんですね。
ちなみに、このスイッチを入れられるようになるためには、1週間くらい、母国語が通じない環境に身を投じればいい。いずれ、ごく自然にスイッチが入るようになります。
話を、ゲームに戻します。
ゲームに「謎解き」とか「ストーリー」などの要素が加わったとき、そこに「使用する言語による差異」が生まれます。
どんな行動をとってもOK!
それが周囲に影響を与える!
どうプレイするかは、あなた次第!
という仕組みの作品を、海外のゲームで、よく見かけます。海外の人がいう「自由度」ってのは、たいてい、そういう意味だったりします。
で、そういうのを見るたびに、ああ、これってアルファベット文化圏のゲームだよなぁ、と野安は思うわけです。
わたしは、こういう行動をとった。
だから、こうなったのか。
という形で進むゲームですからね。先に行動を決めて、あとから結果が出るわけです。「まず動詞がある」みたいな形。いわば英文法と同じ順序になっている。
アルファベット文化圏の人は、こういった「行動があった後に、結果が出た」という物語に、知的な快楽を感じるんだろうなぁ、と推測しています。
日本製のゲームって、そのあたりが違うんだよね。
こちらは、結果が先にあって、あとから原因を知る、という順序になっているものが多いんですよ。
わかりやすくいうと、「ドラゴンクエスト」のイベントって、そうなってるでしょ?
街がボロボロになっている
何が起きたんだ?
北の洞窟にいる魔物に襲われたのか!
よし、行動しよう!
という順序で物語が進むわけです。
結果を見せて、それから過程を推測させ、最後に行動を起こさせようとする。そんな手順を踏みながら物語が進むところに、わたしたちは知的快楽を感じるんですね。
(この知的快楽を小説化したものが、いわゆる「推理小説」というヤツです。ちなみに、推理小説が、いまなお大量に作られている国は、日本以外には、ほとんどありません。この知的快楽の仕組みは、日本語で思考する人との相性がいいのでしょう)
まあ、ここにあげた例は、いずれも極端なものばかりですが。
じつは、これこそが、国産ゲームと海外ゲームの、大事な違いのひとつだったりします。
日本製のRPGが、北米や欧州のゲームファンに、なんか受け入れられない理由だ、といってもいい。
どんどん、物語に巻き込まれるようにして物語が進んでいくゲーム――たとえば「FF」などが、海外に受け入れられているのは、そのためかもしれません。
海外には、凄くヒットしたゲームが、たくさんある。
なのに、日本では売れない。
そんな現実を見て、いろいろな意見が出ているわけですよ。「日本人は、海外ゲームの面白さを知らないだけ」とか「日本のゲームファンは、ちょっと特殊だ」とか。
違うってば。
日本語で思考する人たちにとって、それらのゲームからは「思考のカタルシス」が感じにくいんだよね。
ゲームが生み出す知的快楽には、そりゃもう、あきらかに言語差が出るんですよ。
海外でヒットさせたいゲームを作りたいなら。
極論を言ってしまえば、開発スタッフが英語で会話するようにすればいい。英語で思考しながらゲーム作ると、海外でヒットするゲームが作りやすくなると思う。
いつか、そういうチャレンジをするゲーム開発チームが出てこないかなぁ、と考えたりもします。そういうゲーム、ちょっとプレイしてみたいなぁ。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
2011-01-06 00:00
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