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テレビゲームと感情(2) [ゲーム分析]

 昨日からの続きです。



 人は、自分ではない誰かの「感情」を感じ取ることができます。

 直接、顔を合わせているのなら、どんな口調でしゃべっているのか? どんな表情をしているのか? そんなことから、そのときに発した言葉に、どんな感情がこめられているのか、把握することができます。

 だけど、これをネット上で行うのは、けっこう難しい。たとえば、ネット上に

 「ありがと」

 というテキストがあったとしても、これは心からの感謝の言葉かもしれないけど、挨拶がわりの軽い気持ちから出た言葉かもしれないでしょ? あるいは「嫌味で言ってる」可能性すらある。

 その言葉に、どんな感情がこもっているのか、なんか把握しにくいんですよね。理屈の上では。



 にもかかわらず。

 わたしたちは、ネット上にあふれるテキストを読んでいて、そこに強烈な感情を感じとることがあります。

 文章力とは、あまり関係がない。

 ふつうの人が書いた、ふつうの言葉なのに、うわぁ……なんか情念みたいなものが渦巻いてるなぁ、と感じることがあるんです。



 結論だけ、先に言いますと。

 ネット上で「感情」を感じるようになる要因のひとつは、「単位時間あたりの情報量」が増えることです。すると、わたしたちは、そこに「感情」を感じとれるようになる。

 理屈は、わからない。

 でも、荘子が、魚の気持ちを感じとれるのと同じように、わたしたちは、そこに感情が渦巻いていることを、感じとることができるのです。



 たとえば、ブログなどで、1年間で500人のコメントがあったとします。うん、ふつうのブログですね。読んでみても、とくに感情が揺さぶられないことも多いでしょう。

 でも、半日で500のコメントがあったら、どうでしょう? 「炎上してる」といわれるような状況ですね。

 そのコメント群を読んでみると、なんというか、わたしたちは、そこに「感情が渦巻いている」ように感じたりするんですよ。

 同じ量のコメント群なのに、「短期間に書き込まれた」コメントは、そこに感情があふれているように感じるのね。短い時間に、たくさんのテキストが溢れると、そこに「感情」を感じやすくなる――という特性があるように、野安は分析しているのですが、どうでしょう?



 「2ちゃんねる」で、猛スピードで消費されるスレッドを呼んでいると、そこに「感情の激突」のようなものを感じます。ただの短いテキストの連続にもかかわらず。

 「ニコニコ動画」で、大量のコメントが流れてくると、そこに「感情の激流」みたいなものを感じます。ただの言葉なのに。

 このように、短期間に大量のテキストが飛び交うのを見ると、わたしたちは、そこに「感情が渦巻いている」かのように感じるんですよね。

 多くの人がバラバラに発した言葉なのに、なんというか、そこには「行間を読む」ときにも似た、なんとも面白い感覚が生まれるのね。

 この2つのサイトは、見るものに「感情」を感じさせることに長けている。だから人気サイトになっているといえます。



 これ以外にも、現在は、そういった「感情が渦巻いているように感じる」ようなシステムを持つサービスが人気になっている、と分析していい。

 Twitterが「多くの人の発した短文が、次々にネット上にあふれ出す」という仕組みになっているのも、それが「感情が激突する」ように見えるという意味において、きわめて優れたシステムだといえます。だから、このシステムは世界的に流行っている。

 だからこそ、その熱気に引きずられるように、「ついつい、本音に近いこと」をもらしてしまい、いろいろな問題を背負うハメになる人が出てくる、ともいえますね。



 テレビゲームの話に戻ります。

 ゲームがオンライン化されていく中で、ゲームビジネスが目指すのは、こっちの方向なんです。

 いろいろな人が言葉(だけとは限らないけれど)を発信した結果として、そこに「感情がこもっている」「感情が渦巻いている」ように見えるかどうか? そんなシステムを作れるかどうか? それが、大事なポイントになるんじゃないかなぁ。

 そんな仕組みを作れれば、それは優れたエンタテインメントとして成立すると思います。

 野安は、ニンテンドー3DSの「すれ違い通信」に、そんな方向へ向かう、ちょっと面白そうな未来を期待しているんだけど、さて、どうなるでしょうか?



 余談ですが。

 テレビゲームのライバルは、モバイルアプリだ。

 みたいなことを言う人もいるんだけど、えーと、そりゃ違いますよ。テレビゲームビジネスと、ケータイやスマートフォンのアプリビジネスは、ともに手を組む同志だってば。同盟国軍みたいなもんでしょ。

 さらにいうと、PCのオンラインゲームなども、基本的には同志です。

 楽しい仕組みを作って、人々を楽しませよう!
 その対価として、お金を払ってもらおう!

 という目的が、基本的には同じですからね。切磋琢磨するという意味ではライバルだけど、別に敵対してるわけじゃない。ともに、相手のいいとこを吸収しあって成長しましょうね、という関係性にあるわけで。



 いま、あえてテレビゲームのライバルを名指しするのならば、うん、現時点での最大のライバルといえるのはTwitterだろうなぁ。あるいはニコニコ動画(のような動画サービス)だろうなぁ。

 これらは、すでに「感情が渦巻く」ように感じられる仕組みを、すでに実装しているところが強みです。お金をとるための仕組みも違うしね。

 とりわけ「ライブで行われること」に対して、いろいろな人の言葉が溢れるように流れてくる、という仕組みを持っているところが、素晴らしい。オンラインを楽しむ仕組みとして、かなり優れているんだよね。


http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)

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