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「ニンテンドー3DS体験会」レポートみたいなもの(4)

 体験会レポート、まだ続きます。

 「レポート」というタイトルのくせに、ただの雑談になっていたりしますが、そのへんは、あまり深く考えないでくださいませ。



 さて。今回のイベントで、もっとも気になったのは、体験会に「中学生・高校生」あたりの世代が、あまりいなかったこと。男子も女子も。

 まあ、任天堂のイベントでは、このあたりの世代が目立たないのは、いつもどおりではあります。とくに今年は、この世代のゲーム好きが、みんな「モンハン」に夢中になっているのかしら?

 えーと、できることなら、2月いっぱいくらいまで夢中になっていただけると、ありがたい。そうすると、ニンテンドー3DS発売日に、マシンが買いやすくなるのだが。



 さて。体験会が終わり、ニンテンドー3DSのことを、いろいろな人に説明する機会が多くなってきた昨今ですが。

 いろいろと話しているうちに、どう表現すれば「未経験の人に伝わるか」が、だんだんわかってきました。

 いまのところ、いちばん伝わりやすいのは、「これ、どこでもドアみたいなもんです」という説明でしょうか。

 どこでもドアって、開けると「その先に、いきなり、違う世界が広がっている」でしょ? アニメやコミックでは、そう描写されます。ふたつの世界が、ドアを通じてくっついている、といった状態になるわけですね。

 ニンテンドー3DSって、そんなマシンだよと。

 モニターを通じて、ふたつの世界がつながってますよと。

 だから、モニターの中に、「違う世界が広がっている」ように見えますよ! それを覗くことができますよ! そう説明するのが、いちばん的確に、このマシンの映像を説明できるような気がします。



 大昔の人が、鏡を見たとき、同じような感覚に襲われたのかもしれません。

 ただの平面の中に、世界が広がっているわけですからね。初めて見た人は、気持ち悪さと同時に、なんか不思議なワクワク感をおぼえたりしたんだと思います。

 まあ、だから鏡ってのは、「呪術的な意味合い」を持つアイテムなんだよね。だからこそ、ホラー映画などでは効果的な小道具として使用されます。いまでも「合わせ鏡」は良くない、みたいな形で、鏡(という、世界を見せてくれる器具)の呪術性みたいなものが、言葉として残っていますよね。

 あと、初めて「映像」を見た人なども、似たような感覚に襲われたのかもしれませんね。

 そこに「違う世界が広がっている」のを見ると、人間って、畏怖の感情みたいなものを引き起こすのだと思います。



 と書いていて、ふと思った。

 そうか。このゲームに触れた感覚を、ひとことで形容すると、たぶん「おそれ」なんでしょう。

 「畏れ」であり。
 「怖れ」でもある。

 いざプレイすると、そんな感覚に襲われる。その感覚って、なんとも説明しようがないんですよね。経験した人が、「プレイしないと、わからない」と、口をそろえてしまうのは、そんなところに理由があるのかもしれません。



 まあ、今週あたりから、いろいろな場所で実体験できるようになりますので、興味のある方は、ぜひ体験してみてください。どこでやっているかは、任天堂の公式サイトを見るといいです。

 ようやく、「ゲーム好きじゃない人」が触れたときに、どう反応するのか? を観察することができるので、チョットワクワクしています。野安は、どこかに見学に行ってみる予定。

(3DSの話、まだ続きます。次は来週の火曜あたりにアップする予定)



http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)


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