2011年以降のテレビゲーム機 [ゲーム分析]
これからのゲーム機は、どうなっていくのか?
なーんてことは、考えるまでもない。結論は最初から決まっている。
ゲーム機は、よりシンプルなものになっていきます。いずれ「据え置きゲーム機」にも、次の世代のマシンが出てくるでしょうけれど、そりゃあ、いまよりもシンプルなものになっていくに決まってます。
(マシン性能が低くなるという意味じゃないよ。インターフェイスとか、扱いやすさとかがシンプルになる、っちゅうことです)
なぜなら、テクノロジーの進化っちゅうのは、最終的には「誰にでも扱える」という方向に結実するからです。
例外は、ほとんどないです。
自家用車が、女性でも、高齢者でも、みんな扱えるように進化したのと同じです。大衆に愛されて定着する「主要車種」は、必ず「扱いやすさ」を武器にした、シンプルなものになるんですよ。もちろん、そうでない方向に進化している車もあるけど、それはマニア向けの商品ですね。
2010年は、ケータイアプリがゲームビジネスで頭角を現した1年でした。
家庭用ゲーム機を作っている人たちは、「オレたちがやらないような、いわば隙間を縫って出てきたゲームだよね」みたいな視点で、その現象を見ているような気配もあったりしますが。
逆だよね。
むしろ「隙間産業」なのは、家庭用ゲーム機用ソフトを作っている側なんだよ。ニッチなのは、あなたたちのほうだ。
そりゃ、そうだよ。
マニアが好きな高性能スポーツカー(20万人くらいの顧客が相手)を作っているエンジニアが、500万人の足として喜ばれている大衆車を作っているエンジニアに向かって、「あいつら、隙間を縫って出てきやがったぜ」みたいなこと口にしたら、そりゃギャグにしかならんよ。
・ソフトを買う必要すらない
・ハードを買う必要もない
・いつでもスタートできて
・いつでも止められる
インターフェイスを、とことんシンプルにした。誰でも楽しめるようにした。それによって大衆化を成し遂げたわけで、それはテクノロジーの進化の本流に位置するコンテンツですからね。
家庭用ゲーム機を作っている人の中にも、大衆向けのソフトを作ることに力を注いだ人もいる。そういうメーカーもある。それは、よく知っている。
でも、トータルで見ると。
家庭用ゲーム機産業は、「大衆を楽しませること」を、おろそかにしていたんだと思うよ。で、その努力をサボらなかったところだけが、いま勝ち組になっているという構図になってるんじゃないかな(そんな勝ち組の代表が任天堂ですね)。
さて。
家庭用ゲーム機のソフト開発に関わっている人たちが、自分たちは、むしろ「ニッチな側にいる」んだってことを、自覚できるかどうか?
それが、なんというか、これからのゲームビジネスでの生き残りを決める大事な要素なんじゃないかな、と思いますです。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
なーんてことは、考えるまでもない。結論は最初から決まっている。
ゲーム機は、よりシンプルなものになっていきます。いずれ「据え置きゲーム機」にも、次の世代のマシンが出てくるでしょうけれど、そりゃあ、いまよりもシンプルなものになっていくに決まってます。
(マシン性能が低くなるという意味じゃないよ。インターフェイスとか、扱いやすさとかがシンプルになる、っちゅうことです)
なぜなら、テクノロジーの進化っちゅうのは、最終的には「誰にでも扱える」という方向に結実するからです。
例外は、ほとんどないです。
自家用車が、女性でも、高齢者でも、みんな扱えるように進化したのと同じです。大衆に愛されて定着する「主要車種」は、必ず「扱いやすさ」を武器にした、シンプルなものになるんですよ。もちろん、そうでない方向に進化している車もあるけど、それはマニア向けの商品ですね。
2010年は、ケータイアプリがゲームビジネスで頭角を現した1年でした。
家庭用ゲーム機を作っている人たちは、「オレたちがやらないような、いわば隙間を縫って出てきたゲームだよね」みたいな視点で、その現象を見ているような気配もあったりしますが。
逆だよね。
むしろ「隙間産業」なのは、家庭用ゲーム機用ソフトを作っている側なんだよ。ニッチなのは、あなたたちのほうだ。
そりゃ、そうだよ。
マニアが好きな高性能スポーツカー(20万人くらいの顧客が相手)を作っているエンジニアが、500万人の足として喜ばれている大衆車を作っているエンジニアに向かって、「あいつら、隙間を縫って出てきやがったぜ」みたいなこと口にしたら、そりゃギャグにしかならんよ。
・ソフトを買う必要すらない
・ハードを買う必要もない
・いつでもスタートできて
・いつでも止められる
インターフェイスを、とことんシンプルにした。誰でも楽しめるようにした。それによって大衆化を成し遂げたわけで、それはテクノロジーの進化の本流に位置するコンテンツですからね。
家庭用ゲーム機を作っている人の中にも、大衆向けのソフトを作ることに力を注いだ人もいる。そういうメーカーもある。それは、よく知っている。
でも、トータルで見ると。
家庭用ゲーム機産業は、「大衆を楽しませること」を、おろそかにしていたんだと思うよ。で、その努力をサボらなかったところだけが、いま勝ち組になっているという構図になってるんじゃないかな(そんな勝ち組の代表が任天堂ですね)。
さて。
家庭用ゲーム機のソフト開発に関わっている人たちが、自分たちは、むしろ「ニッチな側にいる」んだってことを、自覚できるかどうか?
それが、なんというか、これからのゲームビジネスでの生き残りを決める大事な要素なんじゃないかな、と思いますです。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
2010-11-20 00:00
コメント(3)
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これまでの家庭用ゲームを遊び、親しんできた身としては、
ゲーム機がシンプルになると聞くと、思わず、
「今よりも、ゲームが面白くなくなるんじゃないか」と想像してしまいます。
でも、メーカーさんには、その想像を軽く超えるような、
今の家庭用ゲームに負けず劣らずの、
面白さや新鮮味があるゲームを作ってもらいたいです。
「シンプルで、そこそこ面白いゲーム」ではなく、
「シンプルだからこそ、今までよりも面白くなったゲーム」が生まれる。
そう期待したいと、この記事を読んで思いました。
by meko (2010-11-21 11:38)
うーん…もう少し深く分析されたほうが良いかと思います。
自動車とゲームが決定的に違うのは、ゲームは「遊び」であるということです。
シンプルになることが、必ずしも、「進化」というわけではないんです。
「遊び」は、いつか「飽きる」んです。
どんなゲームも、寿命があります。ゲームは「消費」されるんです。
シンプルにすると、どうしても、消費されるまでの時間が短くなり、
ユーザーを満足させられない場合が多いのです。
例えば、ファミコンのスーパーマリオ。
当時あれがヒットしたのは、シンプルだからではありません。
他のゲームに比べて、「複雑だったから」です。
キノコで大きくなったり、土管に入ったり、雲の上に登ったり、隠し通路があったり。
コントローラーのボタンの使い方にしてもそうです。
Bボタンは、パッドと同時に入力することでダッシュボタンとなり、
ファイアーマリオのときはファイアーボールを投げるボタンにもなる。
当時としては本当に複雑なゲームだったんです。
ゲームに限らず、「遊び」というのは本当に難しいもので、
“ほどよく”複雑なルールのほうが楽しめる場合が多いのです。
話しを戻しましょう。
携帯アプリがビジネス的に成功したのはなぜか。
それは、通信インフラを上手く使ったからに他なりません。
国内一億台以上売れている携帯電話というものは、
「ネットワークゲームのプラットフォーム」としては、圧倒的なのです。
そこに気付いて、ずっと昔からPCで行われていた、
アプリ無料・アイテム課金というビジネスモデルをうまく携帯に落とし込んだ。
また、ネットワークゲームの楽しさの本質である、
他プレイヤーとの交流や、他プレイヤーとのバトルなどを、
携帯向けにうまくアレンジした。
だから成功したのです。
昔からある、
「1ダウンロード300円。落としたら遊び放題」
というような携帯アプリの会社はどうなったかを見てもわかります。
ほとんどがモバゲーやGREEに取り込まれました。
そうしないと生きていけないからです。
最後に、ゲームの今後はどうなるか、私の予想ですが、
「あと10年は、今とそれほど変わらない」
と思います。
電源を入れるとネットワークにアクセスし
Yahooのようなポータルサイトにつながったりはするでしょうが、
パッケージソフトはなくならないでしょうし、
ポケモンやマリオはミリオン売れるでしょう。
ネットワークインフラは発達しますが、
携帯ゲーム機で子供が勝手にwebブラウジングできるようにはならないでしょう。
携帯電話がスマホの機能を完全に吸収し
(ただし本体のフォルムは今と変わらず折りたたみが主流)
モバゲーやGREEはAndroid対応アプリばかりになるでしょう。
長文失礼しました。
by NO NAME (2010-11-22 14:04)
野安さんの発言は、ときどきファンタジックなときがあります。
たとえばFF12についてのコメントと、FF13についてのコメントがほとんど同じであったりすることです。ガラパゴスについての認識も、まったく逆になっていますね。コラムでは否定的だったのに、手のひらを返したように、ブログでは肯定的になっていますね。万歳までしている。ファンタジックが止まりません。おそらく、FF15(?)のときも同じようににコメントするんでしょう。
とはいえ、そういうシュールなギャグをさりげなく文中に含ませる腹黒いキャラでないと、ぼくのほうが困ってしまうのですが。
ただ、任天堂が最強のソフトメーカーであり、ゲームビジネスについて一歩も二歩も先んじていて、宮本茂さんが最強のクリエイターだということには異議はありません。「飽きられたら終わり」ですものね。
あと、ゲーム文化についての議論を中途半端にしておくのはなぜですか? 読者が望んでいないと感じるからですか? それともゲームビジネスについての考察のほうが、時間が正しいかったかどうかを判定してくれるからですか? 水掛け論になるからですか? ゲームジャーナリズムが終焉しているからですか? それならゲーム評論でも始めてはどうかと思うのですが? それがダメならボーカロイド・ライターに転職というのは、どうでしょう?
ファンタジックを止めないでください。お願いします。(毒)
by やすくん (2010-11-24 11:14)