ボーカロイドの熱狂は、まだ始まったばかり(1) [箸休め]
テレビゲームの年末商戦が始まるまで、ちょっと間があるので、違うネタを書いておこう。
えーとですね。昨年末から、何度となく「初音ミクは、2010年の紅白歌合戦に出場するのではないか」と書いてきました。
さあ、この予想は当たるかな?
「歌手として出場」しないにしても、ちょっとくらい登場するんじゃいかなぁ、と思っています。それにふさわしい実績は残した。あとはNHKの判断次第ですね。
まあ、どちらに転ぶにせよ、はっきりと言えることがひとつ。
ボーカロイドは、そろそろ「やっと、その熱狂を、本格的にスタートさせる」ということです。
新しいモノが誕生すると、たいていは「どうせ、一過性のブームだよねw」といわれます。かつてはテレビゲームが、そうでした。ファミコンの頃の話ですね。
かなり初期から、ボーカロイドで遊んでいた野安は、「ああ、いつものパターンだなぁ」と笑ってました。だって、こんなに面白いもんが、そうそう簡単に廃れるわけがないじゃん。
はっきりいうけど、現時点での盛り上がりなんか、まだ序の口でしょう。本当に面白くなってくるのは、あと1~2年後からなんじゃないかなぁ。
だって、まだムーブメント自体、ほぼ日本だけで起きている段階に過ぎないわけですよ。
でも、面白いものは、どんどん世界に広がっていきます。
1~2年後には、多くの海外の人たちが、ボーカロイドで曲を作り始めてると思います。「自分でボーカル付きの楽曲を作成する」というのは、国境を越えて、誰でも楽しめる遊びだからね。こんな面白い遊びが、いつまでも、日本だけにとどまっているわけがありません。
だから、このムーブメントは、そこから第二ステップに入るのでしょう。
アマチュアが作るオリジナル曲には、その国の文化が色濃く反映されますからね。外国人がどんどん参加することで、日本人が作った曲とは、ちょっと違ったものが出てくることになる。それによって、さらなる多様性が出てきて、どんどん面白くなっていくんじゃないかと思っています。
例をあげましょう。
いま、ボーカロイドの曲の中には、「ボーカロイドの悲しみ」みたいなものをテーマにした曲が、けっこうあります。
・わたしは、人間じゃないから……
・人間に恋をしていも、それは叶わない……
みたいな曲ですね。こういった、いわゆる「ボーカロイド視点の曲」は、なんといいますか、日本だからこそ大量発生した曲であるといえます。だって、それって「プログラムに沿って発声しているだけのソフトが、じつは“魂”を持っている」という前提のもとに、成立している詞ですからね。
キリスト教文化圏の人は、こういう詞を、なかなか書けない。
キリスト教文化圏の人にとって、世界と、そこに生きるあらゆる生命は、「神が創りたもうたもの」だからです。そういう思想が、文化のバックボーンとして根付いている。なので、神が創ったわけじゃないキャラクターに“魂”は宿らない、と考えます。そこに“魂”が宿っているという認識を、気軽に持つことができない、ということです。
(もし“魂”が宿ったならば、それは神に背く存在であり、異形の存在として扱われるのが一般的です。ようするに、フランケンシュタインですね)
(その一方、日本では、「探査機はやぶさ」という機械すら擬人化し、そこに人格や魂があるかのような設定を、多くの人が、ごく自然に受け入れたりできるわけです。この違いは、なんとも面白いですよね)
だから。
キリスト教文化圏の人たちや、イスラム教文化圏の人たちが、プログラムでありながら、しかし「まるで人間のように、感情を込めたかのように歌う」ソフトで歌を作るという遊びを始めたとき、いったい、どんな詞を書いてくるのでしょう? どんな曲を作ってくるのでしょう?
きっと、日本人が思っても見なかったテーマを浮き上がらせてくるんじゃないかと、わくわくしながら期待しています。
こうやって、文化の違う人たちがボーカロイドを手にして、それぞれの文化をバックボーンとした楽曲が生まれるようになったとき、ようやくボーカロイドというムーブメントは、第二のステップに入るんだと思いますよ。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
えーとですね。昨年末から、何度となく「初音ミクは、2010年の紅白歌合戦に出場するのではないか」と書いてきました。
さあ、この予想は当たるかな?
「歌手として出場」しないにしても、ちょっとくらい登場するんじゃいかなぁ、と思っています。それにふさわしい実績は残した。あとはNHKの判断次第ですね。
まあ、どちらに転ぶにせよ、はっきりと言えることがひとつ。
ボーカロイドは、そろそろ「やっと、その熱狂を、本格的にスタートさせる」ということです。
新しいモノが誕生すると、たいていは「どうせ、一過性のブームだよねw」といわれます。かつてはテレビゲームが、そうでした。ファミコンの頃の話ですね。
かなり初期から、ボーカロイドで遊んでいた野安は、「ああ、いつものパターンだなぁ」と笑ってました。だって、こんなに面白いもんが、そうそう簡単に廃れるわけがないじゃん。
はっきりいうけど、現時点での盛り上がりなんか、まだ序の口でしょう。本当に面白くなってくるのは、あと1~2年後からなんじゃないかなぁ。
だって、まだムーブメント自体、ほぼ日本だけで起きている段階に過ぎないわけですよ。
でも、面白いものは、どんどん世界に広がっていきます。
1~2年後には、多くの海外の人たちが、ボーカロイドで曲を作り始めてると思います。「自分でボーカル付きの楽曲を作成する」というのは、国境を越えて、誰でも楽しめる遊びだからね。こんな面白い遊びが、いつまでも、日本だけにとどまっているわけがありません。
だから、このムーブメントは、そこから第二ステップに入るのでしょう。
アマチュアが作るオリジナル曲には、その国の文化が色濃く反映されますからね。外国人がどんどん参加することで、日本人が作った曲とは、ちょっと違ったものが出てくることになる。それによって、さらなる多様性が出てきて、どんどん面白くなっていくんじゃないかと思っています。
例をあげましょう。
いま、ボーカロイドの曲の中には、「ボーカロイドの悲しみ」みたいなものをテーマにした曲が、けっこうあります。
・わたしは、人間じゃないから……
・人間に恋をしていも、それは叶わない……
みたいな曲ですね。こういった、いわゆる「ボーカロイド視点の曲」は、なんといいますか、日本だからこそ大量発生した曲であるといえます。だって、それって「プログラムに沿って発声しているだけのソフトが、じつは“魂”を持っている」という前提のもとに、成立している詞ですからね。
キリスト教文化圏の人は、こういう詞を、なかなか書けない。
キリスト教文化圏の人にとって、世界と、そこに生きるあらゆる生命は、「神が創りたもうたもの」だからです。そういう思想が、文化のバックボーンとして根付いている。なので、神が創ったわけじゃないキャラクターに“魂”は宿らない、と考えます。そこに“魂”が宿っているという認識を、気軽に持つことができない、ということです。
(もし“魂”が宿ったならば、それは神に背く存在であり、異形の存在として扱われるのが一般的です。ようするに、フランケンシュタインですね)
(その一方、日本では、「探査機はやぶさ」という機械すら擬人化し、そこに人格や魂があるかのような設定を、多くの人が、ごく自然に受け入れたりできるわけです。この違いは、なんとも面白いですよね)
だから。
キリスト教文化圏の人たちや、イスラム教文化圏の人たちが、プログラムでありながら、しかし「まるで人間のように、感情を込めたかのように歌う」ソフトで歌を作るという遊びを始めたとき、いったい、どんな詞を書いてくるのでしょう? どんな曲を作ってくるのでしょう?
きっと、日本人が思っても見なかったテーマを浮き上がらせてくるんじゃないかと、わくわくしながら期待しています。
こうやって、文化の違う人たちがボーカロイドを手にして、それぞれの文化をバックボーンとした楽曲が生まれるようになったとき、ようやくボーカロイドというムーブメントは、第二のステップに入るんだと思いますよ。
(http://twitter.com/noyasuyukio もどうぞ)
2010-10-19 00:00
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