ゲームの面白さとは何か? 第一章(6) [ゲーム分析]
「行動」と「結果」の間の経過時間を長くすると、ゲームは難しくなる。
これが、ゲームの基本ルールのひとつです。
でも、これって気付きにくいんですよね。
シューティングゲームとかアクションゲームなどをプレイしていれば、「難易度が高いな」ということに、すぐ気付きます。だけど「行動」と「結果」の間の経過時間が長くなったことによって難易度が上昇したことは、けっこう気付かれないんですよ。
でも、「難易度が上がった」ことには、違いはない。
優れたシューティングゲームとかアクションゲームを思い浮かべてもらえるとわかるんだけど、そういった「高難易度の良質なゲーム」は、「買った人の多くが満足するけど、大衆にはヒットしない」という結果になる。そういう売れ方をします。
で、「街」や「428」も、まったく同じような結果になってますよね?
ようするに、大衆にヒットしなかった理由は「難易度が高かったから」だと考えれば、きっちりと説明できるんですよ。
それに気付かない人が、いろいろと理屈をつけて分析している、というのが現状なんだと思うのですが、どうでしょう?
たとえば、「実写は売れないんだよね」みたいな言説を、ときどき目にします。
でまさ、そういうところに理由を求めてもダメでしょう。それは、本質じゃないからね。そんなもん、いつか実写のゲームがヒットすれば、すぐに消えうせる迷信に過ぎません。
「バイオハザード」が登場したら、それまで、まことしやかに語られていた「ホラーってのは売れないんだよ」「ホラーって、ゲームとの相性がよくないからね」といった言説が消えうせたのと、まったく同じように。
いや。厳密にいうと、実写にする(あるいは映像を実写に近づける)ほど、ゲームという仕組みは、維持するのが難しくなる――という側面を持ってるのも事実なんだけどね。
ゲームは、「行動」と「結果」の間の経過時間を長くすると、難しくなる。
だから「行動」と「結果」の間の経過時間を短くすれば、プレイヤーは、すぐに気持ちよくなれるわけです。
この仕組みを利用して、ゲームは、さまざまな演出をほどこしているのですが、そうした演出って、実写っぽい映像のゲームとの相性が、あまりよくなかったりするんですね。
もっとも、わかりやすい例が、SE(サウンドエフェクト)でしょうか。
・「ゼルダの伝説」で、ダンジョンの部屋の仕掛けを説いたとき、SEが鳴る
なんてのが、その典型です。このSEってのは、「はい。あなたの行動、正解でっす!」と、その場で教えてくれる役目を持っています。アイテムを手にするときにファンファーレが鳴ったりするのも、同じことですね。
プレイヤーの「行動」が正しかったときに、すぐさま「結果」を出してあげているわけですよ。こういった演出を徹底しているからこそ、このシリーズ、謎解きを難しめにチューニングしてあっても、みんなプレイしちゃったりするんですね。
(仮に、部屋でSEが鳴らず、「仕掛けを解いた→トビラのところに行く→やっと開いてることが確認できる」という手順を要求されたとしたら、すっげぇストレスが溜まりそうだなぁ、ということは、わかりますよね?)
・「逆転裁判」シリーズで、ムジュンを突きつける
ときも、そうですね。
アドベンチャーゲームって、一連のストーリーを見せていくという形式のゲームだから、どうしても「行動」と「結果」の経過時間が長くなりがちなんです。アドベンチャーゲームが大衆にブレイクしにくい理由は、そこにある。
だから「逆転裁判」シリーズでは、裁判のシーンなどで、短いセリフをループさせています。でもって「正しい行動」をとったとき、すぐさま派手なSE・アクションを用意して、そこから怒涛の展開を見せる、という演出をとっている。
「はい、あなたの行動、正解です!!」
と、すぐさまプレイヤーが理解できるようにしてあるわけですね。
実写にすると、こういう手法が使いにくくなるんですよ。
まるで実写そのものの「ゼルダの伝説」があったとします。風の音から、大地を踏みしめる音、ちょっとした呼吸音まで、まるで映画のようなリアリティで表現されるゲームです。
こうすると、そこに「ぴろぴろぴろーん♪」というSEを流しにくくなるんですよ。
その音、どこから鳴ってんだよ!
というツッコミを入れたくなるといいますか、なんともいえない違和感が生まれちゃうからです。
どれだけ実写っぽくしても、「いやいや、これはゲームだよん」という余地を残してあるゲームが多いのは、そのためです。
そうしないと「SEを鳴らす」ことをはじめとした、ゲームならではの演出が使いにくくなるからね。
だから、たとえば「メタルギアソリッド」シリーズは、どれだけ映像がリアルに近付こうとも、やっぱり敵の頭上には「!」を出しているよね、ということです。
さて。
話が長くなりましたが、そろそろ第一章をまとめます。
ゲームというのは「行動したら、何かが起きる」という遊びです。
そして「行動したら、何かが起きる」という仕組みを複雑化させることで、ゲームの難易度を上げたり、下げたりできるのだ、ということを解説しました。
ゲームは、いろいろと進化しました。
ゲーム機はハイスペックになった。容量も増えた。いろいろなことができるようになり、ゲームは、ごく自然に複雑化しました。
だから、その対抗策として。
バランスをとるかのように、プレイヤーが「正解」の行動をとったときには、どかん! と派手なシーンを入れてあげて、すぐに「結果」を見せてあげるように、ごく自然に進化していった、という歴史を持っています。
SEが鳴る、というのもそう。
豪華なムービーが流れる、というのも、基本的には同じことです。
こうして、ゲームにおける大事なポイントのひとつである「ご褒美」という概念が生まれたのですね。
というわけで。
第一章は、これでおしまいです。おつきあいいただき、ありがとうございました。
第二章では、ゲームにおける「ご褒美」ってのは何だ? という話が展開します。アップされるまで、しばらくお待ちください。
(いったん終了)
※このブログはツイッター http://twitter.com/noyasuyukio と連動しています。
これが、ゲームの基本ルールのひとつです。
でも、これって気付きにくいんですよね。
シューティングゲームとかアクションゲームなどをプレイしていれば、「難易度が高いな」ということに、すぐ気付きます。だけど「行動」と「結果」の間の経過時間が長くなったことによって難易度が上昇したことは、けっこう気付かれないんですよ。
でも、「難易度が上がった」ことには、違いはない。
優れたシューティングゲームとかアクションゲームを思い浮かべてもらえるとわかるんだけど、そういった「高難易度の良質なゲーム」は、「買った人の多くが満足するけど、大衆にはヒットしない」という結果になる。そういう売れ方をします。
で、「街」や「428」も、まったく同じような結果になってますよね?
ようするに、大衆にヒットしなかった理由は「難易度が高かったから」だと考えれば、きっちりと説明できるんですよ。
それに気付かない人が、いろいろと理屈をつけて分析している、というのが現状なんだと思うのですが、どうでしょう?
たとえば、「実写は売れないんだよね」みたいな言説を、ときどき目にします。
でまさ、そういうところに理由を求めてもダメでしょう。それは、本質じゃないからね。そんなもん、いつか実写のゲームがヒットすれば、すぐに消えうせる迷信に過ぎません。
「バイオハザード」が登場したら、それまで、まことしやかに語られていた「ホラーってのは売れないんだよ」「ホラーって、ゲームとの相性がよくないからね」といった言説が消えうせたのと、まったく同じように。
いや。厳密にいうと、実写にする(あるいは映像を実写に近づける)ほど、ゲームという仕組みは、維持するのが難しくなる――という側面を持ってるのも事実なんだけどね。
ゲームは、「行動」と「結果」の間の経過時間を長くすると、難しくなる。
だから「行動」と「結果」の間の経過時間を短くすれば、プレイヤーは、すぐに気持ちよくなれるわけです。
この仕組みを利用して、ゲームは、さまざまな演出をほどこしているのですが、そうした演出って、実写っぽい映像のゲームとの相性が、あまりよくなかったりするんですね。
もっとも、わかりやすい例が、SE(サウンドエフェクト)でしょうか。
・「ゼルダの伝説」で、ダンジョンの部屋の仕掛けを説いたとき、SEが鳴る
なんてのが、その典型です。このSEってのは、「はい。あなたの行動、正解でっす!」と、その場で教えてくれる役目を持っています。アイテムを手にするときにファンファーレが鳴ったりするのも、同じことですね。
プレイヤーの「行動」が正しかったときに、すぐさま「結果」を出してあげているわけですよ。こういった演出を徹底しているからこそ、このシリーズ、謎解きを難しめにチューニングしてあっても、みんなプレイしちゃったりするんですね。
(仮に、部屋でSEが鳴らず、「仕掛けを解いた→トビラのところに行く→やっと開いてることが確認できる」という手順を要求されたとしたら、すっげぇストレスが溜まりそうだなぁ、ということは、わかりますよね?)
・「逆転裁判」シリーズで、ムジュンを突きつける
ときも、そうですね。
アドベンチャーゲームって、一連のストーリーを見せていくという形式のゲームだから、どうしても「行動」と「結果」の経過時間が長くなりがちなんです。アドベンチャーゲームが大衆にブレイクしにくい理由は、そこにある。
だから「逆転裁判」シリーズでは、裁判のシーンなどで、短いセリフをループさせています。でもって「正しい行動」をとったとき、すぐさま派手なSE・アクションを用意して、そこから怒涛の展開を見せる、という演出をとっている。
「はい、あなたの行動、正解です!!」
と、すぐさまプレイヤーが理解できるようにしてあるわけですね。
実写にすると、こういう手法が使いにくくなるんですよ。
まるで実写そのものの「ゼルダの伝説」があったとします。風の音から、大地を踏みしめる音、ちょっとした呼吸音まで、まるで映画のようなリアリティで表現されるゲームです。
こうすると、そこに「ぴろぴろぴろーん♪」というSEを流しにくくなるんですよ。
その音、どこから鳴ってんだよ!
というツッコミを入れたくなるといいますか、なんともいえない違和感が生まれちゃうからです。
どれだけ実写っぽくしても、「いやいや、これはゲームだよん」という余地を残してあるゲームが多いのは、そのためです。
そうしないと「SEを鳴らす」ことをはじめとした、ゲームならではの演出が使いにくくなるからね。
だから、たとえば「メタルギアソリッド」シリーズは、どれだけ映像がリアルに近付こうとも、やっぱり敵の頭上には「!」を出しているよね、ということです。
さて。
話が長くなりましたが、そろそろ第一章をまとめます。
ゲームというのは「行動したら、何かが起きる」という遊びです。
そして「行動したら、何かが起きる」という仕組みを複雑化させることで、ゲームの難易度を上げたり、下げたりできるのだ、ということを解説しました。
ゲームは、いろいろと進化しました。
ゲーム機はハイスペックになった。容量も増えた。いろいろなことができるようになり、ゲームは、ごく自然に複雑化しました。
だから、その対抗策として。
バランスをとるかのように、プレイヤーが「正解」の行動をとったときには、どかん! と派手なシーンを入れてあげて、すぐに「結果」を見せてあげるように、ごく自然に進化していった、という歴史を持っています。
SEが鳴る、というのもそう。
豪華なムービーが流れる、というのも、基本的には同じことです。
こうして、ゲームにおける大事なポイントのひとつである「ご褒美」という概念が生まれたのですね。
というわけで。
第一章は、これでおしまいです。おつきあいいただき、ありがとうございました。
第二章では、ゲームにおける「ご褒美」ってのは何だ? という話が展開します。アップされるまで、しばらくお待ちください。
(いったん終了)
※このブログはツイッター http://twitter.com/noyasuyukio と連動しています。
2010-05-26 00:00
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