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ゲームの面白さとは何か? 第一章(5) [ゲーム分析]

 「街~運命の交差点~」と「428~封鎖された渋谷で~」。

 野安は、この2つのサウンドノベルのことを、歴史的な大傑作だと思っています。ゲーム史に残る素晴らしいゲームです。心ゆくまで楽しみました。

 だけどね。

 と同時に、このゲームは、そりゃ大々的にヒットするわけないよなぁ……と心の底から思っています。

 難易度が高すぎます。こんなに難しいゲームが、そうそう大衆にヒットするわけないですって。



 サウンドノベルは難易度が高い!

 そう書くと、反論があるかもしれません。

 選択肢を選ぶだけでゲームが進んでいくんだから、なにひとつ難しくないんじゃないのか? という疑問の声があるかもしれません。

 たしかに「知識や技術を必要にする」という方向への複雑化は、まったく行われていない。だから、一見すると、難易度が低いゲームに見えるんですよね。



 でもね。

 それって、10000ページの小説を、「誰もが読める日本語で書かれてるんだから、誰にでも楽しく読める小説だ」と力説するようなもんです。

 いや、そりゃ、誰にでも読めるだろうさ。

 でもさ、「実際に読める(プレイできる)」からといって、それを「エンタテインメントとして楽しめるかどうか」は、まったく別問題ですからね。



 なにしろ、このゲーム、「行動」と「結果」の間に、猛烈な時間経過がある。

 「選択肢を選ぶ」という行動をとっても、それが、すぐに結果に直結しない。しばらく物語が進んで、バッドエンドになったとき、「ああ、あのときの行動が原因で、こうなったんだな……」と、やっと理解できるわけ。

 「行動」と「結果」が、こんなにも離れているゲームってのも、珍しいんですよ。

・ボタンを押したら(行動)
・マリオがジャンプして(結果)
・敵をやっつけた!(気持ちいい!)

 というスピード感に比べると、そりゃもう、雲泥の差がありますよね。



 バッドエンドになっても、その原因がわからないこともあります。

 どうして、こうなったんだ? とプレイヤーを悩ませるわけです。「結果」を先に知らせて、それから原因(行動のミス)を推理させていく――という構造になっているんですね。

 これって、ゲームが本来持っている「行動したら、結果が出る」という仕組みを、ぐるりと反転させているわけなんですよね。つまり、ゲームの構造が、ある意味「メタ」になっているんですよ。



 もちろん、だからこそ、これを解きほぐしていくのが、このゲームの、ぞくぞくするくらい魅力的なところになっている。

 そこに、このゲームだけが持つ、独特の面白さが湧き出てくるわけです。それが他に類を見ない独自性であり、野安が、これらのゲームを大傑作だと賞賛する理由だったりします。



 でもね。

 子供は、「ボタンを押して、すぐにピカピカと光るオモチャ」は、楽しく遊べる。でも、数十秒後にピカピカ光るオモチャは、楽しく遊べない。

 10ページの短編小説は、多くの人が楽しめる。でも1000ページの小説は、かなりの「本好き」でないと、楽しめない。

 「行動」したら、すぐに「結果」が出るようにしてあるからこそ、それは初心者でも楽しめるものになるのです。逆に、「行動」と「結果」の間の経過時間が長くなるほど、楽しむことは「むずかしく」なっていく。楽しむための難易度は上がってしまうのです。

 そういう視点から見るかぎり、これらのサウンドノベルは、とてつもなく「難しい」ゲームになっているっちゅうことも、また事実なんですね。



 だから。

 これらのソフトは、熱心なゲームファンの評価が高いんでしょうね。

 本を読みなれている人が、10000ページの本を楽しく読めるのと同じです。

 これはゲームだ!
 ならば「行動したら、何かが起きる」という仕組みになっているはずだ!

 ということを、きっちりと肌で実感している人ほど、その仕組みをぐるりと反転させ、そこに面白さを発生させる「街」や「428」を楽しめるわけです。

 これらのゲームが、ゲームマニアからの評価が高いのに比して、大衆に受け入れられにくい理由は、ここにあるのだと思います。



 つまりね。

 これって、大衆向けにチューニングされていないということですね。かなりの上級者マニア向けにチューニングされている。めちゃくちゃ高難易度のゲームのまま、ぽん、と世の中に送り出されているソフトなんです。

 ここまで、大衆を置き去りにしているゲームってのも、じつは珍しいかもしれません。



 めちゃくちゃ難易度が高いのだ!

 ということを、売る側が(もしくすると作り手も)、あまり自覚してなかったんだろうな、と想像しているのですが、どうなのだろう?

 これほど難易度が高いゲームなのに、難しいゲームであるという意識のないまま、つまりは「大衆を置き去りにした難易度のゲームを、ぽん、と世の中に送り出してしまった」のでないのかなぁ、と思っている次第です。

 それが「街」や「428」というゲームが背負ってしまった最大の欠点なんだろうな、と思っている次第です。

(つづきます)
※このブログはツイッター http://twitter.com/noyasuyukio と連動しています。

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