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ゲームの面白さとは何か? 第一章(2) [ゲーム分析]

 別の場所で、以前に書いたことのある話を、また書いておきます。

 大きなデパートには、小さな子供たちが、自由に遊べるコーナーがあります。

 野安はときおり、そこで、子供たちが、どんなオモチャで遊んでいるのかを観察しています。なぜなら、ゲームの原点を、そこで見ることができるからです。



 たとえば、幼児用の、もっともシンプルなオモチャに

・ボタンを押したら、音が鳴って、ボタンがピカピカ光る

 というものがあります。典型的な幼児用のオモチャです。ボタンを叩くと、そのたびに音が鳴り、ピカピカ光る。それが子供たちとっては嬉しいことらしく、みんな、ばんばんばん、とボタンを嬉しそうに叩きます。

 さて。ここで疑問がわいてきます。

 このオモチャは、「ゲーム」と呼んでいいものなのでしょうか?



 はい。これは「ゲーム」です。

 こういうものこそ、もっともシンプルな形の「ゲーム」だと、野安は考えます。

 だって、まぎれもなく、そこには「行動したら、何かが起きる」という仕組みが組み込まれていますからね!

 しかも、子供たちは、それに夢中になっています。

 子供たちにとって、このオモチャは、まぎれもなく「面白いゲーム」になっているのです。そこに議論の余地はないだろう、と野安は考えます。



 さらに、ここで考えをめぐらせてみると。

 結局のところ、あらゆるゲームは、この「行動したら、何かが起きる」という楽しさを持つオモチャを、複雑化させているだけなんだよなぁ……ということに、気付いたりします。

・ボタンを押したら、音が鳴って、ボタンがピカピカ光る

 というようなシンプルな仕組みのオモチャを、わたしたちは、とうてい楽しむことはできないでしょう。でも、これを複雑化して、

・一定時間内に正しい手順でボタンを押すと、必殺技が出る
(しかも、必殺技を出すべきタイミングも考慮しなければ勝てない!)

 とアレンジされたなら、わたしたちは、楽しくプレイできちゃうわけですからね。



 なんのことはない。

 ゲームの原点というのは、たとえば「ボタンを押したら、音が鳴って、ボタンがピカピカ光る」というオモチャにあったりするんですよ。

 プレイする人の年齢に応じて、あるいは知識や経験に応じて、「行動したら、何かが起きる」という仕組みを、複雑化させているだけのことなんですよね。

 それが「ゲーム」と呼ばれるものの正体です。



(つづきます)

※このブログはツイッター http://twitter.com/noyasuyukio と連動しています。
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