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勝敗は、マシンスペックでは決まらない [ゲームハード]

 映画「アバター」は、やっぱり凄かったなぁ。

 3D映像が作り出す臨場感が、なんとも素晴らしい。これから、どんどん優れた3D映画が出てくるんだろうなぁ思うと、わくわくできます。



 ここで、大事なポイントがひとつ。「アバター」の大ヒットがあっても

 「アバターという、凄い3D映画に感動した! これからオレは、もはや3Dじゃない映画なんて認めない! 2Dは時代遅れ! すべての映画が3Dになるべきだ! それが映画の進化なのだぁぁぁ!」

 と、声を大にして叫ぶ人は、ほとんどいないっちゅうことです。

 いや、いるかもしれないけど、それって「あえて、無茶な発言しているに過ぎない」わけで、いわば道化を演じているわけです。

 これからも、3Dじゃない映画はたくさん作られて、わたしたちを楽しませてくれる。そして、その上で、3Dの映画も楽しめる時代が訪れたのだ。ああ、映画というエンタテインメントは豊かになったなぁ、いいことだなぁ、と、ふつうの人は思っているわけで。



 これ、ゲームも、同じことです。

 凄い画質のゲームが出てきたら、多くの人は「ああ、こんなに凄い画質のゲームも楽しめる時代になったんだ。いいことだ」と思うのですよ。

 いまは、気軽に遊べるゲームもある。レトロゲーム(過去の名作)もある。家族で汗を流すゲームもある。そして、高性能ゲーム機ならではの凄いゲームも出てきた。わーい、いろいろなゲームがあってハッピーな時代になったなぁ、と思うだけのことです。

 それが、ごくふつうの感覚というものです。



 この、ごくふつうの感覚が、いま、どんどん広まっている。

 「高画質ゲームに感動した! これからオレは高画質じゃないゲームなんて認めない! それがゲームの進化なのだぁぁぁ!」

 みたいなこと、本気で叫んでる人は、そろそろ減ってきました。

 スーパーファミコンとか、プレイステーションとか、そういった新マシンが出てきたときは、けっこう多くの人が「最先端の技術は凄いぜ! みんなで、そっちに飛びつこうぜ!」といった気分になっていた。テクノロジーの進化により、いままでにないゲームが楽しめるようになったことを、大多数の人が歓迎していたといいますか。

 でも、もはや、そんな時代は終わったわけです。

 「みんなで、最先端の技術に夢中になるのが、正しいのだぁぁ!」といった、よく考えると馬鹿げている極論を口にするのは、ごく一部の「道化を演じる人」になってきているわけですね。



 ただ、市場を分析する人(アナリストと呼ばれる人たち)や、報道関係者(ジャーナリスト)の中には、「道化を演じる人」が、まだまだ多いんだけどね。ぶっちゃけ、道化を演じたほうが、記事ってのは書きやすいからね(体験者は語る)。

 だから、しばらくは「新ゲーム機○○ v.s. 新ゲーム機●●。どっちが勝つか!」みたいな対立構図でゲームビジネスを分析したりする記事が、たくさん読めると思います。そういう記事って、数字だけまぶしておけば格好がつくから、書くのが楽だし。



 でも、もう一度、書いておきます。

 映画「アバター」が大ヒットした後にも、3Dじゃない映画はたくさん作られて、多くの映画ファンを楽しませるでしょう。

 それと同じように、高性能ゲーム機が登場して、高性能ならではのゲームが楽しめるようになった後にも、シンプルなゲームがたくさん作られて、多くのゲームファンを楽しませるんです。

 ようするに、今後は、ゲームハードに、どんなテクノロジーが乗ろうが、それをフル活用すれば凄いゲームが出てくる! だから、こっちのゲーム機が勝つ! みたいな形で勝敗が決することはありません。そういう時代になっている、ということです。
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